
覚悟よりも大切なもの

飲食店を開業するうえで、覚悟を決めることは確かに重要です。
もちろん、僕自身も覚悟をもって取り組んできました。
しかし、覚悟の手前にあるもの──それが、僕にとっては「反骨心」でした。
飲食業界に対する疑問、現場への違和感、社会に根強く残る固定観念への反発。
世の中には普遍的な正解もありますが、すべてにおいて絶対的な正解があるわけではありません。
若い頃に感じていた業界の改善点を、自分のお店で実践し、お客様から支持を得て、存続することで証明したい。
もし失敗すれば、それは自分の考えが間違っていたのだと、負債とともに受け入れる覚悟もありました。
反骨心のルーツ

僕の反骨心は、子どもの頃からずっと育ち続けてきました。
学歴がないこと。
暴力的な家庭環境で育ったこと。
母子家庭だったこと。
そうした背景の中で、僕には多くのレッテルが貼られました。
「どうせすぐに道を外れる」「続かないに決まっている」──
そう見られていることは、肌で感じていました。
それでも、それらの状況は事実ですし、高校に進学しなかったのも自分の選択。
だからこそ「言われても仕方がない」と思っていた部分もありますが、やはりそれが心地よいわけではありませんでした。
中でも特に違和感を覚えたのが、
「暴力的な家庭で育った子どもは、また同じことを繰り返す」という言葉です。
僕は、殴られる痛みとむなしさを、誰よりも知っているつもりです。
だからこそ、「絶対に自分は、手を出さない」と強く決めていました。
「先に手が出るのは、考える力がないからだ」
そう思った僕は、だったら「誰よりも考えられる人間になろう」と心に誓いました。
この考え方は、仕事にも直結しています。
言われた通りに動くだけの人間ではなく、
なぜそうするのか、どうすればもっと良くなるのか、常に“考えて動ける人間”でありたいと思っています。
そして、レッテルではなく、仕事を通じて「自分自身の価値」を証明したかった。
誰に何を言われても、結果で返す。それが、僕の反骨心の使い方でした。
現実から目をそらさずに

「離婚家庭の子どもも離婚しやすい」──これもよく言われますが、離婚は誰にだって起こりうること。
僕は、自分の選択に責任を持ちたかった。
学校という環境が合わず、勉強から目を背けてきたのは自分の責任。
だからこそ、社会に出たら真剣に取り組もうと決めていました。
学歴のない自分が生きていくため、将来家族を持つため、手に職をつける必要があったからです。
そして、過酷な家庭環境だったからこそ──自分の子どもには、普通の家庭環境で育ってほしいという願いがありました。
仕事との出会い

仕事は、僕にとって生きるための手段でした。
最初から飲食業にこだわっていたわけではありません。
たまたまご縁があり、最初に就いたのが飲食店の仕事。
でも、やっていくうちにどんどん惹かれていき、情熱を持って取り組めるようになりました。
今では、この仕事に出会えて本当に良かったと思っています。
レジリエンス──何度でも立ち上がる力

誰にでも、挫けそうになる瞬間はあると思います。
僕自身も、飲食の修行時代には「もう辞めたい」と何度も思いました。
だからと言って、学歴もスキルもない自分にとって、目の前の仕事を投げ出すことは、人生を投げ出すことと同じでした。
仕事を失えば、もう生きていく道が見えなくなる。だから、やるしかなかったんです。
それでも現実は厳しく、
「修行」という言葉に包まれた安月給、1日12時間を超える労働、週6連勤が当たり前。
現場の上司は不当な理由で怒り出し、忙しい時も手伝わず、仕込みは誰よりも早く出てきて全て終わらさないと怒られる。
理不尽な上司、過酷な仕込み、報われない毎日──正直、何度も心が折れそうになりました。
もちろん、すべての現場がそうだったわけではありません。
でも、当時の飲食業界は今よりもさらに労働環境が整っていなかったのは事実です。
10代で始めた一人暮らしは、「お金がない」「時間もない」「余裕もない」の三重苦でした。
周囲の大人たちからは「もっと遊べばいいのに」と言われても、過酷な状況にいる僕には理不尽に思えてなりませんでした。
それでも、僕には仕事を続ける理由がありました。
それは、「家庭を持ちたい」という想いです。
誰かを守れる人間になりたい。
自分が体験できなかった「普通の暮らし」を、未来の子どもたちには届けたい──
そんな想いが、どんなに辛くても仕事を辞めずに続けられた原動力になっていました。
仕事は、生活のためだけの手段ではありません。
あの頃の僕にとっては、「未来をつくる唯一の方法」だったのです。
過去があったからこそ

振り返ってみると、逆境の体験が反骨心を育てたのかもしれません。
- 今は貧しくても、将来は裕福になりたい
- 嘲笑されたからこそ、まっすぐな道を歩みたい
- 幼少期にはなかった「普通の家庭」を築きたい
- 主体的な人生を歩みたい
- 中卒でも真っ当に生きられることを証明したい
- 社会に認められたい
- 子どもたちに多くの選択肢を与えられるような経済力を持ちたい
- 人生は、自分の手で切り拓けるということを示したい
僕にとって、過ぎた過去はどうでもいい。
大切なのは、これから先の未来。
もちろん、そんな理想の未来を手にするには時間がかかると覚悟していました。
そして今

成長の過程で、周囲に迷惑をかけてきたこともあります。
でも「いつか変えてやるんだ」という想いを胸に、進み続けてきました。
その結果──
- 家族
- お店
- 自宅
- 時間
- 財力
- 老後の安心
すべて手にすることができました。
こうして振り返ってみると、自分がどれだけ「野望のない人間」なのかがわかります。
とても平凡なタイプだと思います。
貧しい国に資金援助できたら素晴らしいとは思いますが、実際は自分のことしか考えていません。
でも、それでいいと思っています。
僕にとって、「手の届く範囲の人を守ること」こそが大切なことです。
そしてその先に、料理を通してお客様の日常を豊かにするお手伝いができたら──それが僕にとっての幸せです。
料理は、生き方

僕の人生もお店の経営も、まだ道の途中です。
「怒りの原動力」があったからこそ、ここまで来れました。
しかし、「怒りの原動力」だけでは継続は出来なかったと思います。
家族の支えがあったからこそ継続できたと思います。
積み重ねた日々の考え方がいつか誰かの背中を押すものになれば。
これからも、少しずつ前へ。進んでいこうと思います。